苦しみを見つめる仏教の視点
仏教の根本的な教えのひとつに「苦(く)= dukkha」があります。あらゆる存在が苦しみを避けられないという観点から、苦しみの根源やその軽減を探求してきました。
この視点は支援の場面でも示唆に富んでいます。利用される方の苦しみにただ反応するのではなく、その奥にある「何を感じているか」「何を望んでいるか」を丁寧に観る姿勢が重要です。
支援における「第一の矢・第二の矢」
仏教では身体や状況の苦しみを「第一の矢」、それに対する恐れ・抵抗・否定が「第二の矢」と言われています。支援の現場で起きるのは、苦しめられている方だけでなく、私たち自身が第二の矢を放ってしまう瞬間です。
そのため、支える側がまず「この場にある苦しみを認める」こと。次に「余計な矢を放たない」ことを意識することが、穏やかな関わりを育てる鍵となります。
苦しみに寄り添うということ
苦しい状態にある人に対して、ただ快適な環境をつくるだけでは、必ずしも十分ではありません。仏教的には「見守る」「共にいる」「言葉にしないでもそばにいる」ことが大切とされます。
たとえば、感情が揺れているときに「大丈夫ですか」と声をかけるだけでなく、沈黙を共有する、安心できる時間をつくる、というようなあり方も寄り添うケアのひとつです。
「無常観」がもたらす支援の視野
仏教では「無常=すべては変わりゆく」という観点があります。状態も感情も時間とともに変化するという理解が、支援における柔軟な関わりを促します。
支援者側も「今この瞬間を大切にする」「変化を受け入れる」姿勢を持つことで、苦しみにとらわれず、適切な対応を考えやすくなります。
言葉にならない声を聴く
苦しみの中には言葉にならない声があります。「こうしてほしい」と言えない、あるいは表現できない想いがあるかもしれません。仏教的な観点では「いまここにいる」という姿勢が、その声を聴く基盤になります。
支援の場でも、記録・言葉・行動だけではなく「その場の空気」「利用される方の呼吸」「視線の動き」などに注意を向けることが、深い理解へつながることがあります。
支え合いを育てるつながり
苦しみと向き合う場には、ひとりだけではないという安心が大切です。仏教ではつながり(縁)の中で生きるという考えがあり、支援する側もまた支えられる側という流れがあります。
その意味で、気づきや思いを共有できる場として、かいご姉妹サロンの「ひみつのお手紙(DM)」機能を自然にご活用いただくことで、日々の学びや気づきをつなげていけます。
日常の支援に苦しみを生かすために
苦しみを単に避ける対象とせず、理解と寄り添いの対象とすることで、支援の質が深まります。変化を受け入れつつ、小さな気づきに心を向けることが信頼関係を育みます。
そして、ひとりで抱えず、つながりを活かしながら、苦しむ方とともに歩む支援を目指していきましょう。

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