仏教の教えが示す「慈悲」とは
仏教において「慈悲(じひ)」とは、ただ優しくするという意味を超え、相手の苦しみを理解し、その苦しみを取り除きたい・和らげたいという心の働きを指します。相手の幸せを願う「慈」と、相手の悩み・迷い・苦しみを軽くしたいという「悲」が組み合わさった言葉です。
そのため、ケアにおいても単なる支援・サービス提供ではなく、相手の立場に立って「いま、この人が何を感じているか」を想像し、応じようとする姿勢が慈悲のケアと言えます。
共感の力が支えるケアの心
共感とは、相手の感情や状況を自分のことのように感じ取ることですが、同時にそのまま引きずるのではなく、相手の苦しみに寄り添いながらも自分自身を見失わないことが大切です。仏教の実践の中では、この「共にいる」ことが重視されてきました。
実際、福祉・医療分野で「コンパッション=慈悲・共感・思いやり」がキーワードとして取り上げられています。自身の心と体を整えることが、他者に誠実に向き合うための基盤となるのです。
「そばにいる」ことの意味
仏教では、必ずしも「何かをしてあげる」ことだけがケアではないとされています。むしろ、苦しみの中にある人のそばにいて、「そのままでいい」と許す姿勢こそが大切です。支援する側とされる側という境界を超えて、ひとりの人間として同じ場にいるということです。
その意味で、介護や支援の場で「私はこの人のために何かやらねば」という思いだけで動くと、知らず知らず自分を追い込んでしまうこともあります。まずは「私はここにいます」「あなたの声を聴いています」というあり方をもちたいものです。
無数の「縁」の中でケアする
仏教における「縁起(えんぎ)」の教えは、すべての出来事や存在が関係性の中で成り立っているという考え方です。ケアの現場もまた、利用者・家族・職員・制度・社会という多様な縁(つながり)の中にあります。
だからこそ、支援をする側が「ひとりで何とかしなければ」と思う必要はありません。誰かとつながること、環境の中で役割を分かち合うことも大切なケアの姿です。
相手を個として尊重するケア
慈悲と共感が根付いたケアでは、相手を「ひとりの尊い存在」として捉えることが前提になります。年齢・障がい・認知状態にかかわらず、その人自身の人生・背景・価値観に思いを寄せることです。
それは「何をしてあげるか」から「どう在るか」に意識を移すということ。ちいさな言葉かけ、手を差し伸べる瞬間、ただ隣にいる安心感――その積み重ねが支えとなります。
支える側も支えを求めていい
仏教的な慈悲の実践では、支える側自身も「誰かの支えを受ける存在」であることが暗に示されています。無理を続けてしまうと、疲労・燃え尽きにつながるため、心身を整えるための時間や、誰かに話すきっかけをもつことが大切です。
ここで、交流や人脈形成の場として活用できるのが、かいご姉妹サロンの「ひみつのお手紙(DM)」機能です。気づきや思いを手軽に共有し、人とのつながりを通じて支えあうことができます。
毎日のケアに慈悲の光を灯すために
日々の支援現場では、予定どおりにならない場面、思いがけない変化に直面することも多々あります。そんなときこそ、仏教の慈悲や共感の教えが力を発揮します。「できなかった」ではなく、「今日もこの人と向きあえた」という視点をもつことで、ケアの意味が深まります。
そして、ひとりで抱えずに、つながりを活かしながら、共に歩む支援を目指していきましょう。

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